仙台の戊辰・・・東北の雄、仙台がなぜ会津擁護の立場となり逆賊となったのか、その歴史をたどってみましょう・・・ 会津討伐の意思を固めた新政府軍は、 東北征伐の戦力は東北諸藩から賄うべしとの方針を打ち出します、 このため会津征伐のために派遣された新政府軍はわずかに500、 奥羽鎮撫総督府参謀として世良修蔵を派遣します。 世良は会津藩主松平容保の助命嘆願を願い出た仙台に対し高圧的に臨みます、 もともと会津を許す気など毛頭ない新政府軍はこの申し出を却下、 仙台の戦力を中心として会津討伐を行うことを命じます。 仙台に派遣された新政府軍は仙台城下で乱暴狼藉を働き仙台を激怒させたと言います、 政宗公から続く雄藩仙台のプライドを軽く見ていたのです、 やがて仙台藩は会津擁護の立場を明確にし、奥羽鎮撫総督府参謀、世良修蔵を切って捨てます。 こうして仙台は望みもせぬ戦争に巻き込まれていきます、 外様大名の仙台に幕府を庇う義理も、会津を助ける義理もありはしないのです、 相手の立場、プライドを無視した新政府軍の高圧的な態度が仙台の心を敵対へと向かわせていきます、 こうして東北に要らぬ血が流れます、会津戊辰の正義とはいずれにあるものか・・・ ジャンル別一覧
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